STORY

たくさんの愛情を受けとった幼少期

農業と土木業を営む家の次男である父と、建築業を営む家の次女である母との間に、第2子、次女として生まれました。

父は行動派。せっかちですが、心はいつも穏やか。何をするときもにこにこと見守ってくれてました。

母はわたしが幼いころ仕事で多忙でした。しかし、その時々の精一杯で育ててもらいました。

親戚がたくさん身近にいました。両親以外にも無条件にわたしを愛してくれる大人がたくさんいました。

天真爛漫で、有り余る体力を持っていました。体を動かすことが大好きで、お転婆。いたずらをしては、母を困らせました。

母はそんなわたしをいつも心配していました。しかし、やりたいと言ったことは何でも挑戦させてくれました。

ピアノ、スイミング、書道、そろばん、英会話。ハンドボールに夢中になりどれも辞めました。しかし、そのどれもがその後の人生に少しずつ影響を与えています。

ハンドボールとの出会い 

〜夢中でボールを追いかけた日々〜

小学2年生のころ、ハンドボールを始めました。

はじめは、面白さがわからず練習をさぼる日もありました。学年が上がるにつれて、友人とめり込んでいきました。6年生のときに全国大会で準優勝しました。ハンドボールが大好きになりました。

地元の中学校に進みました。ハンドボール部はありませんでした。小学校からの友人と創部しました。ホームグラウンドは近所の公園。1年時のメンバーは7人。全国大会に出たかったけれど出れませんでした。最高成績は九州大会で4位でした。

地元の普通科高校に進学しました。ハンドボール部はなく愛好会がありました。練習場所は校庭を使わせてもらえました。感動しました。8人からのスタートでした。最高成績は全国選抜大会出場でした。

中学校と高校で、愛好会、同好会、部活動という3年間を2回繰り返しました。部活動ではないことで出場ができない大会もありました。悔しかったです。でも、仲間と過ごした毎日がたからものでした。



競技生活の転換期 

〜安心してがんばった4年間〜

高校3年の5月、高校生活最後の大会が終わりました。いま日本でハンドボールが一番強い大学に進学したいと思いました。本格的に受験勉強を開始し勉強漬けの日々を送りました。家族からのこの上ないサポートを受けました。無事に第1希望の筑波大学に合格しました。

入学した当時、チームで一番下手でした。けれど、指導者・チームメイトみんなが、大切なチームメイトの1人として接してくれました。優しい眼差しと心あたたまる人間関係がありました。

やりたいと思ったことにすぐにトライできる物理的な環境もありました。その中で常に「今のわたしにできること」を探しました。それを120%でやりました。ずっとそれを積み重ねた4年間でした。

2年時はベンチでスコア係として、3、4年時はレギュラーとして3度の日本一を経験しました。その時々で自分自身の120%をぶつけた日本一でした。それぞれに違った充実感がありました。



暗いトンネルをかけ抜けた日々 

〜ハンドボールが楽しくない〜

大学を卒業後、実業団チームの一員になりました。

4シーズン在籍しました。チーム創設以来初の日本一を含む3度の日本一を経験しました。日本代表選手としてロンドンオリンピックアジア予選・世界最終予選、世界選手権も経験しました。

実業団チームの監督は厳しい人でした。ミスをすると激しく責められました。ときには上手くできていても、罵倒され罰を与えられました。理不尽に感じ一度は声をあげました。しかし、その日をさかいに叱責や罰は厳しさを増すばかりでした。

怒られるたびに、わたしが悪いのだと思うようになりました。価値のない人間、どこか足りない人間だと思うようになりました。

肉体的、精神的なしんどさから監督の機嫌をとるようになりました。失敗することが怖く、自由な発想でプレーすることができなくなりました。

失敗しないようにプレーしているうちに、したいプレーが何だったのかもわからなくなりました。

夢中でボールを追いかけていた学生時代のわたしはいなくなってしまいました。「誰かのロボットになってしまった」と思っていました。

監督にコート上で怒鳴られたときの言葉が脳裏に焼き付いていました。24時間365日、監視されているように感じていました。

翌日のためにと早めに布団に入っても、びっしょりと寝汗をかいて目が覚めました。熟睡できないまま暗い朝を迎えることが何度もありました。

そんな中、日本一になることができました。優勝の瞬間、コートの真ん中でつくる歓喜の輪の中。顔では笑顔を作りながら、心では「これでしばらくは怒られないな」と考えていました。虚しかったです。

オリンピックに出たい 

〜充実感と不安、そして妊娠・出産への葛藤〜


そんなわたしにも『オリンピックに出たい』という夢がありました。そのためには、なんとしても所属チームで認められ、試合で活躍し、代表監督の目に留まる必要があると思っていました。

上手くなりたい、勝ちたい、オリンピックに行きたいという気持ちが、いつの間にか、認められたいという気持ちに変わっていました。「こうしたら認められるかも」という不安由来の言動がふえていきました。

3シーズン目の年、ありがたいことに、日本代表選手に選出してもらいました。オリンピックに挑戦するチャンスを得たのです。

合宿、海外遠征、国際大会では、やれることは全部やろう、得られるものは全部得よう、と思い望んでいました。このときの充実感は心の中の宝物です。

けれど、日本代表は誰もが無条件にいられる場所ではありません。

国内合宿に招集されても、大会・遠征のメンバーに入れないこともあります。遠征に行けてもベンチメンバーには入れないこともあります。ベンチメンバーに入れてもプレータイムがないこともあります。コートに立っても目に見える形として結果を残せないこともあります。そして、多少世間の目につくことになることで、知らない誰かに評価され「わたし」について記事を書かれます。

人からの評価=自分の価値となり、自分で自分の価値を認めることのできなかった当時のわたしにとって、精神的な負担は大きくなる一方でした。

同時期に、様々な事情がかさなり『早い段階で子どもを産みたい』と考えるようになりました。

けれど、そのことについて監督やコーチ、先輩や他の誰かに相談できませんでした。相談してはいけないと思っていました。そんなことを言ったら、認められなくなりそうで、話すことができませんでした。

子どもを産んで、選手として現役も続けたいという想いもゼロではありませんでした。でも、そう思っていることを知られるのが怖かったです。本音に向き合うことを避け、蓋をしました。

当時彼氏だった夫にも、自分にも大丈夫な“ふり”をしていました。もう決めたことだからと納得したつもりになっていました。

そうして、ロンドンオリンピックが終わった年に選手を引退しました。


結婚 

〜日本代表のスタッフを経験した半年間〜


結婚後すぐ、ご縁をいただきハンドボール女子日本代表の総務を経験しました。

慣れない作業の連続で周りの方にたくさん迷惑をかけていたかもしれません。だけど、当時のわたしにできる精一杯で取り組みました。

スタッフとして関わる代表チームでは、選手のころとは違った視点で日本と世界のハンドボールをみる貴重な機会になりました。

特に海外遠征でデンマークに行った際に関わった、現地の方々の生き方が印象的でした。

心のしくみを知ったいま、当時の様子を思い返すことがあります。彼らの生き方は、しあわせに生きることそのものでした。

選手のころから、どうしてヨーロッパはハンドボールが強いのだろう、どうして文化として根付き発展しているのだろうと考えてきました。その答えの1つが、ここにあるように感じています。このことを体感で確認するために、また現地にいきたいです。

半年間という短い間でしたが、わたしの人生に必要な時間でした。


妊娠・出産・子育て 

〜自分責めの日々〜


ハンドボールの現場から離れ、家事と育児が中心の生活がはじまりました。
はじめは、待望の子供の誕生・子育て・夫をサポートをする日々にやりがいを感じていました。

それまで「がんばってどうにかする」人生を送ってきたわたしは、結婚生活も子育ても『がんばればどうにかなる』と思い込んでいました。

けれど、子育ては、頑張っても思うようにはなりませんでした。

思うにならないたびに、がんばりが足りないと自分を責めました。そうして、さらにがんばる選択をしました。体を壊しそれ以上がんばれなくなると「がんばれないわたしはダメ」とまた自分を責めました。

自分責めを繰り返しているうちに、周りのことも責めるようになりました。わたしはこんなにがんばっているのに、うまくいかないのは周りのせいだと腹を立てていました。

思い通りにならない子どもと夫を、心の中で責め、言葉で責め、態度で責めていました。

けれど、そんな自分にもまた嫌気がさしていました。本当は、家族とただ笑って穏やかな毎日を過ごしたい。それだけなのに、それだけができない。大切な家族に怒り狂っている自分のことを「最低だ」と思っていました。

まさに“負のループ”でした。

同時に「どうしてあのタイミングでハンドボールをやめてしまったのだろう」とも考えていました。こんな状況になったのは”あの時の自分のせい”と、過去の自分についても責めていました。

こんな風に悩んでいる傍らで、当たり前のように大好きな競技に打ち込んでいる夫の姿が憎くてたまりませんでした。優しくて穏やかな妻でいたいのにそれも叶わない。そんな自分にもまた絶望しました。

もう本当にあれもこれも、、、たくさんの糸がからまっていました。

ここから抜け出したい。だけど抜け出せない。どうしたらいいのかわからない。

「カゴの中の鳥になってしまった」と思っていました。子どもたちが幼稚園に行っている時間に、部屋でひとり大きな声で泣きました。


心のしくみとの出会い 

〜絡まっていた糸がほどけた〜

そんなある日、子育てママ専門カウンセラーの福田花奈絵さんのことを知りました。「これだ!」と思い、半年間の学びの場である長期講座に飛び込みました。

その期間、集中的に”心のしくみ”を知りながら自分の心と向き合う時間を過ごしました。教わったとこを実践するうちに、苦しかったのは、環境や条件のせいではなく、わたしの生き方だったのだと気づきました。

その後も、普段の暮らしの中で事あるごとに自分の心と向き合う作業をしてきました。生まれ持った性質、育った環境、競技生活という特殊な環境で構築されてきた思考の癖や思い込みを知りました。

時間をかけて、わたしを知り受け入れていきました。簡単なことではありませんでした。これまで自分が、ダメ認定していたことを、許し、受け入れなければならなかったからです。

けれど、受け入れるたびに、心がほっとして軽くなる感覚がありました。あきらめることは悪いことだと思っていましたが、そうではありませんでした。残念な自分をあきらめ受け入れるたびに、心が空気を含んだように軽くなりました。

どうしたらいいかわからなくて泣いていたわたしは、どうしたらいいかわかり安心して生きられるようになりました。

自然と、家族との心穏やかな時間も増えました。「欲しかったのはこの時間だった」と感じました。“たったそれだけ”と思っていたことがやっと感じられるわたしになったのです。

からまっていた糸が、ひとつひとつ解けていくようでした。



わたしはやっぱりハンドボールが好き


心のしくみを学ぶと同時に、約10年ぶりにハンドボールの現場に携わるようになりました。

地域の小学生のハンドボールチームで、月に1・2回程、コーチとしてチームに関わらせてもらいました。

久しぶりに体育館に足を運んだときはドキドキしました。しかし、子どもたちと一緒に体を動かしていくうちに、ただ楽しくてボールを追いかけていた子ども時代に戻った感覚になりました。

たった1日。たった3時間。そこから得た体感から「やっぱりわたしはハンドボールが大好き」と確信しました。


さあ、スポーツカウンセリングをはじめよう


『ただ楽しくてボールを追いかけていた感覚』に蓋をしているのは、わたしたちの生きづらさです。

実業団時代のわたしがまさにそうでした。

心のしくみを学び、あのころずっと環境や条件のせいしていた苦しさは、自分の生き方次第で、少しでもマシに、少しでも幸せにできたと思いました。

同時に「あのころに心のしくみを知っていたかった。」「話をできる場所が欲しかった。」と思うようになりました。

それならば、わたしがそんな場所を作ろうと思いました。

スポーツカウンセリングをはじめようと思いました。


コート上だけでなく人生全般が幸せに


日々感じている言葉にできないイライラやモヤモヤ。

『心のしくみ』はそれらを紐解き、自分を理解し、受容し、しあわせに生きていく手助けをしてくれます。

競技生活は人生の一部です。

目の前にある悩みを通し、自分の生き方をみつめ直していくことは、競技場面だけではなく、人生全般をしあわせに生きることにもつながります。

コート上でしあわせに生きることは、人生をしあわせに生きることにつながる。そして、人生をしあわせに生きることは、コート上でしあわせに生きることにつながのです。

心の土台をみつめなおし、自分を許し受け入れていくことは癒しです。

優しい世界で安心してがんばっていく。そうして、人生全体が彩り豊かになっていく。そんなアスリート・指導者・スポーツをがんばる人が1人でも増えることを願って活動していきます。